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最悪を覚悟して最善を尽くす 武漢で展開される中日友好病院の総力戦
光明日報より 2020-03-18
最前線での決勝
「来る日も来る日も、新たなチャンレジを直面し、新たな努力と感動に満ちています。」武漢に来て一ヶ月余り経ち、中日友好病院医療隊の隊員たちはこのようにつくづく思っています。
医師や看護師162名からなるこの国家レベル医療隊、6つのチームに分かれて相次いで武漢の最前線に到着しました。17年前も、中日友好病院は北京市の指定病院として、SaaSと戦う最前線で活躍していました。
流行病との戦いそのものは、病院の魂を鋳造します。数々の試練を乗り越え、中国一の呼吸と危重症学科を持つ中日友好病院こそ、武漢人の痛みがわかります。
戦いは続きます。白衣の戦士たちはずっとここに。雪の飛び舞う真冬日を通り抜け、色とりどりした早春を迎えます。武漢の患者たちにとって、彼らの存在は希望そのものです。
呼吸科のベテラン達は武漢へ出陣
夢のようなベテランチーム――中日友好病院党委書記周軍が隊長に、そして中国工程院副院長、中日友好病院国家呼吸臨床医学研究センター主任王辰院士、中日友好病院副院長曹彬、我が国呼吸と危重症医学の最 頂点に立つ専門家らがまとまって武漢へ赴きました。
感染勃発の初期、曹彬氏は国家衛生健康委の特派員として武漢に先に到着。曹はレムデシビルの臨床試験を担当していて、日夜研究し、慎重に試験を繰り返してきました。王辰院士は「方艙病院」(スタジアムなどのパブリックエリアを臨時医療施設に改造)の建設を提案し、武漢における「病床不足問題」を徹底的に解決しました。
中日友好病院医療隊の中には、「国家緊急医学救援隊」が36人、まさに方艙病院のために来たのです。彼らは武漢客庁方艙病院、武漢光谷コンベンションセンター方艙病院に入り、3000人あまりの患者を治療しました。
残る126人は、華中科技大学同済病院中法新城院区C6東病区を全面的に請け負い、コロナの危重症患者ばかりを受け入れてきました。
重症治療の要は「ひと」だけではなく、「もの」にも頼っています。高レベルの医療チームと最 先端な医療機器は不可欠です。
ある日の午前1時、一人の患者は病状が急変。当時、6階には人工呼吸器がなく、患者を9階のICU室に搬送しなければなりません。搬送中は酸素の保持が大切で、王倩さんは等身大の20リットル酸素瓶を担いで、たった30メーター歩いたら、まるで「心臓が飛び出る」ように辛かったです。当番の男の医師は交代しても、エレベーターに運ぶのに骨を折りました。
「疲れはともかく、時間が持たない、患者さんもいっそう危険になる!患者の死亡率を低くするには、ハード面の改善が不可欠だ。」と王倩さんが言います。
その後、設備の援軍がきました――ECMOが3台、呼吸器が10台、ベッドサイド血液濾過器が2台、心電図モニターが7台……中日友好病院は自らの力で北京から設備を運んできました。「われわれは人だけではなく、医療機器や防護用物資も提供します。決して地元の負担を増やさず、国にも手を指し伸ばしません。」と周軍書記が語ります。
救急とは最後まで諦めないこと
3月に入ってから、感染拡大は収まったものの、仕事のプレッシャーはいっそう増えたと看護隊長の趙培玉氏が感じます。
「今までの治療であまり効果がなかった危重症患者は次々に転入、これらの命を救うために、私たちは全力を尽くさなければなりません。」
数日前、趙培玉たちは極めてハードな戦いを経験しました。
3月2日深夜、ECMOを余儀なくされる危重症患者が24時間以内に二人くるという連絡が入り、まもなく一人目の患者は救急車で到着しました。
患者は重体になっている――1ヶ月あまりのICU治療を経てもなかなか改善せず、重度の二次感染が発生し、全身に複数の臓器不全が発生しています。
躊躇する時間がゼロ。直ちにECMO+CRRT(体外膜酸素化+持続的腎代替療法)!医療隊外科重症医学科副主任の段軍は夜勤職員を増やし、ローテーション休み体制を中止。危重症患者管理組の組長李敏や、ベテランのICU看護師たちも集結しました。ECMO+CRRTの実施は極めて高い精度が認められています。医師たちはECMOの速度、流量、抗凝固剤投与量などに対し目を離さないほどモニタリングしなければなりません。看護師は、各穿刺チューブを維持し、患者をひっくり返し、腹臥位にし、痰を吸い、4時間ごとに採血……徹夜の戦いを終えた直後に、二人目の患者が到着しました。休まずにまたもう一回。前にいる危重症患者を含めて、50ベッドのエリアでは三人の患者が同時にECMO+CRRT治療を受けました。
このようなハードワークは続いています。死神との戦いを勝ち抜くには、いちばん大事なものは何?完備したスタッフ研修によって規範的な操作手順を徹底することだと、周軍氏は考えています。
「我々は毎晩、病例をめぐりパネルディスカッションをし、操作手順、管理制度を定めて、いかなる緊急事態でも冷静に対応できるようにします。」と周軍氏は語ります。病状の進展よりもさきに治療を施すことは、一番効果があると隊員たちはつくづく思います。
全国中西医結合のモデル病院として、中日友好病院は中医の優位性を十分に生かしました。
2月21日、当番医の段軍さんは次のような情報を伝えられました:92歳の女性患者は急に熱が上がり、37.9℃、血液ルーチン検査に異常あり。
高齢の女性患者は入院して十日間あまり経ち、治療の効果がよかったものの、何故急変?検査後、中西医結合治療が決定されました。
現場にいる二人の中医師はビデオ会話で後方にいる中医専門家の張洪春氏、楊道文氏、さらに国医大師の晁恩祥教授からサポートを得て、直ちに追加処方を下しました。お婆さんは漢方薬を飲んで、翌日に体温が正常に戻り、病状も完全してき、2月26日に退院しました。
今まで、現場処方と遠隔会診によって、中日友好病院の中西医結合治療率は100%に近いです。
患者のまばたきに奮い立つ
体の大柄な楊鵬さん(40)は、実は心の暖かい男で、患者さんが退院する度に、彼はいつも興奮します。
「先生たちは高い医術とモラルを持たれ、われわれ武漢人は永遠に忘れない…」白い紙は、下手な字でいっぱいになり、署名に3人の患者の名前と電話番号、そして三つの可愛い「お花」記号が描かれています。楊鵬さんはこの患者からの感謝状を大事にしています。
医師たるものは患者のことを頭と手で治すだけではなく、心と愛を以て守らなければなりません。重症病室では、保健部一部の主管護師丁瑩さんは88歳のお爺さんを世話したことがあります。昼間の時、お爺さんはいつもいらいらして怒りがちで、夜にはなかなか眠れなく、病室を歩き回ります。丁瑩さんはいつもお爺さんと話し合ったりして、心を慰め、顔や手を洗ったり、髭を剃ったりして差し上げました。お爺さんはよく方言で何かを呟いていました。隣の患者に通訳してもらうと、それが妻の名前でした。お爺さんと妻は二人で入院しましたが、離ればなれになってしまいました。丁さんは病院に報告して、二人を同じ病室に調整しました。妻の顔を見ると、お爺さんは機嫌がよくなり、看護師たちとのコミュニケーションもだんだん多くなりました。
「ありがとうって言われたとき、すべての努力に甲斐があった」と丁さんは言います。
すでに運行停止となった光谷方艙病院には、救急科副主任医師李剛さんたちの貴重な思い出が残されています。多くの患者とともに過ごした日々、治療や、メンタル的ケアをしていた日々でした。さらに、毎日広場ダンスをともに踊ったり、「方艙放送」で病気に関する知識を普及したりしていました。患者たちが退院する度に、かならず医療・看護スタッフとWechatで友人追加します。「よくなってきたら、ぜひあなたたちの顔を見てみたい!」と涙を流して患者が言います。
この町は、遠いところからきた彼らの心を温めました。患者からの感謝、信頼、そしてボランティアたちが届けた果物、牛乳、新鮮な野菜……皆が支えてくれたからこそ、医師・看護師たちはさまざなな困難を乗り越えたのです。
「隊員たちは皆可愛くて偉い人です。おかげで『白衣の戦士』という言葉の深意がわかりました。この煙の見えない戦場では、彼らは中日友好病院の技と心を見せ、中国の医療人員の風骨を見せました。彼らの勇気のもとで、我らは引き続き戦います。勝利は必ずや我らのものにして見せますぞ!」と周軍氏は感無量で言います。
(光明日報武漢駐在員より)